納得できない言葉ほど、大切なメッセージだった話

「あれ?この言葉、前にも聞いたことがある…」

私たちは日々、いろんな人と出会い、いろんな考え方に触れる。

その中で、「この人が言ってること、前に誰かが言ってたのと似てるな」と思うことがある。

でも、受け入れられるときと、なんだかモヤっとするときがある。

その違いは「言い方」や「アプローチ」の違いなのかもしれない。

「まずは“全て”を真似してみる」——この言葉に強く反応した理由

最近、「まずは“全て”真似してみることが大事!」という言葉を聞いた。

この言葉を聞いたとき、私は強い拒否反応を覚えた。

「真似する?」

「私は私のやり方でやりたいのに?」

「誰かのやり方をそのまますることに、なんの意味があるんだ?」

でも、こういうふうに何かに強く反応するときって、

単なる意見の違いじゃなくて、自分の中にある「まだ気づけていない部分」に触れていることが多い。

大きく反対したい、拒否したい、聞きたくない。

そう感じるのは、自分の中に「まだ認めたくないもの」があるから。

だから、私はじっくりと考えてみた。

「真似すること」に対して、私はなぜこんなに抵抗を感じるのか?

「真似=自分を失うこと」ではないと気づいた瞬間

しばらく向き合ってみて、気づいた。

私は「真似=自分の本質を失うこと」だと思い込んでいたんだ。

でも、本当にそうだろうか?

もしかしたら、「真似する」って、

誰かのやり方をそのままコピーするんじゃなくて、

一度試してみて、自分に合うかどうかを感じることなのかもしれない。

たとえば、私がビーチクリーンをしている理由。

それは「ただ海をきれいにしたいから」じゃなくて、

「自分と向き合う時間が生まれるから」でもある。

でも、もし誰かが「ビーチクリーンって瞑想になるよ」と言っても、

最初はピンとこなかったかもしれない。

だけど、一度やってみて、

「あ、これは確かにそうかも」って思ったから続けている。

これって、ある意味「真似すること」から始まっている。

でも、その中で自分の感覚を大事にしてきたからこそ、

ただのゴミ拾いじゃなく「私の時間」になった。

言い方が違うだけで、本質は同じだった

結局のところ、言い方やアプローチが違うだけで、

「前に進むことが大切」っていう本質は同じだったんだ、と気づいた。

「まず動いてみる」ことも、「自分に合った方法を見つける」ことも、

どっちも「進んでいくための方法」に過ぎなくて、

どれが正解ってことじゃない。

何かの言葉に強く反応したとき、

それは「今の自分にはまだ受け入れられない何か」が隠れているサインが必ずある。

その違和感の先に、

本当の答えがあることもある。

「納得できない」と感じたときこそ、立ち止まってみる

違うアプローチだからこそ、新しい気づきがあるかもしれないし、

意外と「自分の大事にしていることと同じだった」って思える瞬間があるかもしれない。

だから、自分の感覚を大事にしながら、

違和感が出た時、ラッキーと思えるくらいに楽しんでいこう。(内心は辛いけど 笑)

この記事を書いた人
野口直紀

pontis代表
野口直紀(のぐちなおき)です
真のスピリチュアルを伝えています
ガイドからのメッセージを伝える個人セッション・本当の自分を生きるための講座、グループセッションの提供

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