幼い頃から教えられてきた「助けることは正しい」
「弱者を助けよう」
「困っている人のために」
「弱い人に優しく」
こうした言葉を、私は幼いころから何度も耳にしてきた。
学校でも家庭でも、「困っている人がいたら手を差し伸べることが大切だ」と教えられてきた。
そして、それが「優しさ」であり、「正しいこと」なのだと信じて疑わなかった。
だからこそ、感じる何か。
「助けること」は大切。でも、それが“売り物”になったら?
弱者を助けることは、本当に大切だ。
でも、それを「売り物」にし続けることが当たり前になっているとしたら?
「助けること」が一つのビジネスになり、「困っている人がいること」が前提の社会になっていたとしたら?
この構造がある限り、「弱者」はずっと生まれ続ける。
「弱者支援」が必要であり続ける理由
「弱者を助けることが正義」だとしたら、弱者がいない世界はどうなる?
もし本当に、誰もが自立し、支援が必要ない社会になったら?
……そう、そこにビジネスが生まれなくなる。
だからこそ、「弱者支援」という仕組みの中で、支援を必要とする人が常に存在し続けることになる。
むしろ、「弱者がいなければ困る」という人たちが出てくる。
支援が「助けること」から「依存の固定化」に変わるとき
もちろん、すべての支援が悪いわけではない。
本当に必要な支援もあるし、一時的に助けが必要な人もいる。
でも、「助けること」を続けること自体が目的化し、それを“仕事”にすることで、「助けられる側」を固定化してしまうことがある。
たとえば、こんなふうに——
• 「困っている人を助けるのが仕事」だから、困っている人が必要になる。
• 「支援する側」と「支援される側」という関係が、ずっと続いていく。
• それが当たり前になると、助けられることが普通になり、自立するきっかけを失う。
これは、社会のシステムとして無意識のうちに出来上がっているものだ。
そして、このシステムが続く限り、「弱者」という存在がこの世界からなくなることはない。
私が望むのは、「弱者が不要な世界」
私は、そうではない世界を望みたい。
「弱者がいること」を前提にするのではなく、そもそも「弱者という概念が不要な世界」。
「助ける・助けられる」の関係ではなく、「それぞれが自立しながら共に在る」世界。
そのためには、何が必要なのか?
どうすれば、支援が前提の社会から抜け出せるのか?
その答えは、「自立」と「深掘り」にある。
後編では、弱者支援の構造から抜け出し、誰もが「助ける・助けられる」関係を超えていくために必要なことを掘り下げていく。
私は、そういう世界を望んでいる。
あなたは、どんな世界を望みますか?

