「弱者を助けること」が「弱者を生み続けるシステム」になっている(前編)

幼い頃から教えられてきた「助けることは正しい」

「弱者を助けよう」

「困っている人のために」

「弱い人に優しく」

こうした言葉を、私は幼いころから何度も耳にしてきた。

学校でも家庭でも、「困っている人がいたら手を差し伸べることが大切だ」と教えられてきた。

そして、それが「優しさ」であり、「正しいこと」なのだと信じて疑わなかった。

だからこそ、感じる何か。

「助けること」は大切。でも、それが“売り物”になったら?

弱者を助けることは、本当に大切だ。

でも、それを「売り物」にし続けることが当たり前になっているとしたら?

「助けること」が一つのビジネスになり、「困っている人がいること」が前提の社会になっていたとしたら?

この構造がある限り、「弱者」はずっと生まれ続ける。

「弱者支援」が必要であり続ける理由

「弱者を助けることが正義」だとしたら、弱者がいない世界はどうなる?

もし本当に、誰もが自立し、支援が必要ない社会になったら?

……そう、そこにビジネスが生まれなくなる。

だからこそ、「弱者支援」という仕組みの中で、支援を必要とする人が常に存在し続けることになる。

むしろ、「弱者がいなければ困る」という人たちが出てくる。

支援が「助けること」から「依存の固定化」に変わるとき

もちろん、すべての支援が悪いわけではない。

本当に必要な支援もあるし、一時的に助けが必要な人もいる。

でも、「助けること」を続けること自体が目的化し、それを“仕事”にすることで、「助けられる側」を固定化してしまうことがある。

たとえば、こんなふうに——

• 「困っている人を助けるのが仕事」だから、困っている人が必要になる。

• 「支援する側」と「支援される側」という関係が、ずっと続いていく。

• それが当たり前になると、助けられることが普通になり、自立するきっかけを失う。

これは、社会のシステムとして無意識のうちに出来上がっているものだ。

そして、このシステムが続く限り、「弱者」という存在がこの世界からなくなることはない。

私が望むのは、「弱者が不要な世界」

私は、そうではない世界を望みたい。

「弱者がいること」を前提にするのではなく、そもそも「弱者という概念が不要な世界」。

「助ける・助けられる」の関係ではなく、「それぞれが自立しながら共に在る」世界。

そのためには、何が必要なのか?

どうすれば、支援が前提の社会から抜け出せるのか?

その答えは、「自立」と「深掘り」にある。

後編では、弱者支援の構造から抜け出し、誰もが「助ける・助けられる」関係を超えていくために必要なことを掘り下げていく。

私は、そういう世界を望んでいる。

あなたは、どんな世界を望みますか?

この記事を書いた人
野口直紀

pontis代表
野口直紀(のぐちなおき)です
真のスピリチュアルを伝えています
ガイドからのメッセージを伝える個人セッション・本当の自分を生きるための講座、グループセッションの提供

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