「弱者支援」が当たり前になると、依存が生まれる
「支援を受けること」が当然になると、人はそこに依存してしまうことがある。
困ったときに助けを求めるのは悪いことではない。
でも、それが習慣になれば、支援がなければ生きられない社会ができてしまう。
さらに、支援をする側もまた、「支援する自分」に価値を感じ続けると、
「助ける側・助けられる側」という固定された関係が生まれ、
本来の「自立」という視点が抜け落ちてしまう。
そうなると、支援は本来の意味を超えて、一つの「仕組み」として残り続ける。
本当に必要なのは、「支援し続けること」ではなく、「支援が減る、支援が循環する世界を作ること」なのではないか?
深堀りなくして、自立は生まれない
「支援がいらない世界」と言うと、冷たい印象を持つかもしれない。
でも、私が望んでいるのは、そうではなく、支援を互いに受け合う世界。
そのためには、一人ひとりが自立し、得意なものを持ち寄れる状態であることが大切。
そして、その自立には、自分自身を深く見つめることが欠かせない。
• 自分が本当にできることは何か?
• 相手のためと言いながら、実は「支援することで安心している自分」はいないか?
• 本当の意味で支え合う関係を築けているか?
こうした問いを自分に向けることが、「支援が当たり前の社会」から抜け出す第一歩になる。
私が望むのは、「支援を互いに受け合う世界」
私は、支援そのものを否定しているわけではない。
人が助けを求め、助け合うことは、当然あっていい。
でも、「支援する側・される側」ではなく、
お互いに支援を受け合い、得意を重ねていく世界を望んでいる。
たとえば、誰かが困ったときに一方的に助けるのではなく、
それぞれの得意なことを持ち寄り、支え合う関係ができたらどうだろう。
「支援を受ける側」が「支援する側」にもなれる、そんな世界。
そのほうが、もっと自然で、お互いが自立しながら生きられると思う。
そうなれば、「弱者」という概念すら必要なくなるかもしれない。
「助ける・助けられる」ではなく、「持ち寄る・分かち合う」。
そんな世界を、私は望みたい。
あなたは、どんな世界を望みますか?

