「弱者を助けること」が「弱者を生み続けるシステム」になっている(後編)

「弱者支援」が当たり前になると、依存が生まれる

「支援を受けること」が当然になると、人はそこに依存してしまうことがある。

困ったときに助けを求めるのは悪いことではない。

でも、それが習慣になれば、支援がなければ生きられない社会ができてしまう。

さらに、支援をする側もまた、「支援する自分」に価値を感じ続けると、

「助ける側・助けられる側」という固定された関係が生まれ、

本来の「自立」という視点が抜け落ちてしまう。

そうなると、支援は本来の意味を超えて、一つの「仕組み」として残り続ける。

本当に必要なのは、「支援し続けること」ではなく、「支援が減る、支援が循環する世界を作ること」なのではないか?

深堀りなくして、自立は生まれない

「支援がいらない世界」と言うと、冷たい印象を持つかもしれない。

でも、私が望んでいるのは、そうではなく、支援を互いに受け合う世界。

そのためには、一人ひとりが自立し、得意なものを持ち寄れる状態であることが大切。

そして、その自立には、自分自身を深く見つめることが欠かせない。

• 自分が本当にできることは何か?

• 相手のためと言いながら、実は「支援することで安心している自分」はいないか?

• 本当の意味で支え合う関係を築けているか?

こうした問いを自分に向けることが、「支援が当たり前の社会」から抜け出す第一歩になる。

私が望むのは、「支援を互いに受け合う世界」

私は、支援そのものを否定しているわけではない。

人が助けを求め、助け合うことは、当然あっていい。

でも、「支援する側・される側」ではなく、

お互いに支援を受け合い、得意を重ねていく世界を望んでいる。

たとえば、誰かが困ったときに一方的に助けるのではなく、

それぞれの得意なことを持ち寄り、支え合う関係ができたらどうだろう。

「支援を受ける側」が「支援する側」にもなれる、そんな世界。

そのほうが、もっと自然で、お互いが自立しながら生きられると思う。

そうなれば、「弱者」という概念すら必要なくなるかもしれない。

「助ける・助けられる」ではなく、「持ち寄る・分かち合う」。

そんな世界を、私は望みたい。

あなたは、どんな世界を望みますか?

この記事を書いた人
野口直紀

pontis代表
野口直紀(のぐちなおき)です
真のスピリチュアルを伝えています
ガイドからのメッセージを伝える個人セッション・本当の自分を生きるための講座、グループセッションの提供

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