世の中にはさまざまな職業がある。公務員、警察官、医者、裁判官──それぞれの仕事には責任があり、社会を支える役割がある。だが、その役割の中で「エゴ」は必ず生まれる。そして、それは働く側だけでなく、サービスを受ける側にもあるものだ。
このエゴに気づかずにいると、どこかでバランスを崩し、おかしな方向へ進んでしまう。だからこそ、私たちは「職業が生むエゴ」をフラットに見つめる必要がある。
「頭がいい」=素晴らしいという思い込み
昔の話になるけど、俺も「頭がいいこと=素晴らしい」「勉強ができる人=特別な人」だと思い込んでいたことがあった。特に学校では、成績のいいやつが先生に評価され、親にも褒められ、周りからも一目置かれる。
「頭がいい人はすごい」「そんな人になれたら成功する」
そんな思い込みが、いつの間にか自分の中に染みついていた。
でも、あるとき気づいた。
「勉強ができる=その人のすべてじゃない」 ってことに。
知識があることと、人として深みがあることは別の話。いくら頭が良くても、相手の気持ちがわからない人もいるし、逆に学歴がなくても人間として尊敬できる人はたくさんいる。
職業意識がエゴになる瞬間
この「勉強ができる人は特別」っていう思い込みと同じように、職業にも「特別感」がまとわりつくことがある。
たとえば、警察官が「自分は法律を守る側だから、常に正しい」と思い込んだらどうなるか?
医者が「自分は命を救う仕事をしているから、患者は黙って従うべきだ」と考えたら?
裁判官が「自分は人を裁く立場だから、間違えるはずがない」と思ってしまったら?
どれも、一見すると職業意識の延長にあるように見える。しかし、それが「職業のエゴ」に変わると、目の前の人を見ることをやめ、立場を振りかざすようになる。
これは特定の職業だけの話ではない。公務員、教師、経営者、そしてスピリチュアルに関わる人間も同じ。どんな職業であれ、「私はこの立場だから正しい」「私は特別な仕事をしている」と思い始めたら、それはエゴの入り口。
サービスを受ける側のエゴ
しかし、気をつけるべきは「提供する側」だけではない。サービスを受ける側にもエゴはある。
「医者なんだから、完璧に治せよ」
「警察官なんだから、絶対に悪を見逃すな」
「公務員なんだから、もっと働け」
こうした考えは、一見すると正論のように聞こえるかもしれない。しかし、これは「自分の都合だけで相手の職業を見ている」ということに気づく必要がある。
医者も人間だ。警察官も人間だ。公務員も、裁判官も、教師も、みんな人間だ。完璧であることを求めすぎると、そこに「歪み」が生まれる。そして、その歪みは結局、自分たちに返ってくる。

フラットに見ることの大切さ
では、どうすればこのエゴから抜け出せるのか?
答えはシンプルだ。「フラットに見ること」。変な物語を作らないと言うこと。
「頭がいい=すごい」「この職業だから偉い」「この仕事をしているから正しい」
こういう考えを手放していくことが大事なんだと思う。
職業は、その人のすべてではない。どんな仕事であれ、その肩書きを外せば、ただの一人の人間にすぎない。職業の責任はある。でも、その責任と同時に、その人の「人間としての側面」も見なければならない。
提供する側も、受ける側も、お互いのエゴを手放し、純粋な「人と人」として向き合う。そうすると、見える景色は変わる。
立場や職業を超えて、もっとシンプルに、人として関わる──それが、社会をより良くする第一歩なのではないだろうか。

