私たちは日常の中で、つい 「被害者」 になったり、誰かを 「加害者」 にしてしまうことがある。
でも、それは本当に必要なことだろうか?
感情を深掘りすることで、実は 「ドラマの中の自分」 から抜け出せる。
それは、「本当の自由」につながる生き方でもある。
今回は、その自由に向かうための視点をお伝えしたい。
誰も悪者にしないと決める
例えば、友人に冷たい態度を取られたとき。
「私は傷つけられた」「あの人は私を傷つける悪い人だ」
そんなふうに思うこと、ないだろうか?
でも、一度客観的になってみる。自分の心をそこに置いて、事実だけを確認してみる。
• 本当に私は「被害者」なのか?(傷付いているのか)
• 本当にあの人は「加害者」なのか?(傷付けようとしたのか)
• そもそも、これを「被害」と思う必要があるのか?
すると、意外と「ただの出来事」だったことに気づく。
相手も余裕がなかったのかもしれないし、もしかしたら、自分の中に 「愛されたい」「認められたい」 という不安があったのかもしれない。
これは、「ガイドとは何か?」 という話にも通じる部分がある。
自分の中のガイド(本質的な気づきを与えてくれる存在)は、
「この出来事をどう受け取るか」を見せてくれる。
本来、どんな出来事もニュートラルだ。
そこに「被害」や「加害」を加えるのは、私たち自身の解釈だと気づくことができる。
人は無意識に「ドラマ」を作ってしまう
気づかないうちに、私たちは 「人生のドラマ」 を作っている。
• 「私はこんなに頑張っているのに、誰も分かってくれない」
• 「私は愛されない」
• 「結局、人は私を裏切る」
こうした 無意識のストーリー が、目の前の出来事を歪めてしまうことがある。
だからこそ、感情を深掘りすることが大切。
悲しいなら、なぜ悲しいのか。
悔しいなら、何がそんなに悔しいのか。
怒りが湧くなら、その怒りの奥には何があるのか。
これは、「図星だから怒る」という話 にもつながる。
誰かに指摘されて怒りが湧くとき、それは 「本当は自分でも気づいていること」 だったりする。
もし、怒りをそのままぶつけるのではなく、「なぜ怒ったのか?」を見つめることができたら、
「自分の無意識のストーリー」に気づけるチャンスになる。
自分の感情を 本当の意味で理解する ことで、必要のない「ドラマ」に巻き込まれなくなる。
「被害届」も「加害者」もいらない世界へ
感情を深掘りし、自分の無意識のストーリーに気づくと、
「被害届」も「加害者」も必要なくなる。
• 誰かを悪者にしなくてもよくなる。
• 自分を守るための「物語」を作らなくなる。
• ただ、ありのままの自分として生きられる。
そして、それこそが 「本当の自由」 なのかもしれない。
この「本当の自由」は、「内側と外側の関係性」 とも深く関わっている。
外の世界に「被害者」と「加害者」が存在するのではなく、
「内側がそのまま外側に映し出されている」 としたら?
自分の内側を見つめ、感情を深掘りすることは、
「本当の自由」 を取り戻すことにつながる。
つまり、「誰かを悪者にしない」という選択は、 自分自身を本当の意味で自由にすること でもある。
これまでのように、ドラマを作る必要もない。
ただ 「今、ここ」 にいて、世界とつながることができる。
それは、スピリチュアルでもあり、本質でもある。

